前編では、AI時代に顧客体験が変容するなかで、保険を「手続き中心」から「体験中心」へ転換する必要性と、そのための設計思想(顧客課題起点の5工程)を整理しました。 
後編では、それを“実装可能な構造”として捉えるために、グローバル事例を題材に、ゼロタッチ体験を成立させるバックエンド構造と、AIによる価値拡張ポイントを具体的に読み解きます。さらに、日本の保険会社が実際に着手しやすい形で、最初の3ステップ(可視化・棚卸し・ロードマップ化)へ落とし込みます。 

優れたCXのユースケース×AIの必要性とは? 

AIを最大限活用する設計思想を理解したうえで、ここからは “実際に世界で実現されている優れたCX” を題材に、その裏側にある仕組みとAIによるアップデートの可能性を紐解いていきます。 

なぜ事例を扱うのか? 
理由は明確で、優れたCXの裏側には必ず「高度な仕組み設計」があり、AIはこれらの仕組みを一段階引き上げるポテンシャルを持つためです。 

本章では以下の3つの視点で事例を分析します。 

  1. ユーザーが“自然に守られる”CXの特徴 
  2. そのCXを支えるバックエンド構造 
  3. AIが提供価値をどう拡張し得るか 

ケーススタディ① Grab: 遅延など“状況変化に自動反応する”マイクロ保険の取り組み 

Grabは配車アプリ内でのワンタップのオプトインだけで、以降のすべての配車に対して保険を自動付帯する“Ride Cover” を提供しています。遅延が発生すると、ユーザーは請求手続き不要でアプリ内ウォレットに自動で”遅延分の割引クレジット”が付与されます。 

このCXは、ユーザーから見ると 「何もしなくても、いつのまにか守られている」という極めてストレスフリーな体験を提供しています。 

GrabのCXを成立させるバックエンド構造 

GrabのCXは以下のような仕組みによって実現されていると推察されます。 

  1. 柔軟な商品設計
    パートナーや地域ごとに条件を合わせ、保険商品を高速でカスタマイズ可能
  2. 遅延などの“状況変化を自動検知”し、APIでリアルタイム連携
    配車の遅延や行程情報をシステムが自動で検知し、そのデータが保険システムに即時連携されることで、 「遅延が起きた瞬間に、自動で保険支払いが実行される」仕組みが成立している
  3. クイックな開発サイクル
    短期間で改善可能なアジャイル開発。新サービスの検証と改善が高速で回っている
  4. 完全自動化された保険金支払い
    遅延の検知→支払の実行までが完全自動。
    “ユーザーが何もしなくても補償が完了する体験”(ゼロタッチ体験)の実現
  5. 条件一致と同時に自動で補償が実行される“条件連動型保険”
    「遅延○分以上」「取消発生」など、あらかじめ設定された条件に一致した瞬間に、請求なしで自動支払が実行される保険モデル(パラメトリック保険)
    顧客は書類提出や申請が不要で、“条件成立=そのまま保険金を受領” という体験を実

AIを活用した改善余地 

Grabの事例は既に卓越したCXですが、AIは以下の領域でアップデートの余地を持っています。 

  1. ユーザーコミュニケーションの高度化(対話型UI) 
    保険内容や補償条件を自然言語でわかりやすく説明。利用履歴に応じて「あなたの場合はこれが適用されます」といった文脈理解型のガイドが可能 
  2. 提案・リマインドのパーソナライズ 
    走行履歴、利用パターン、顧客属性から最適な保険付帯を提案するAIパーソナライゼーションエンジン 
  3. ゼロタッチ体験のさらなる強化 
    不測の事象(事故・遅延・トラブル)をAIが自動認識し、補償対象かどうかを即判断→支払いまで自動化。顧客側の“理解・負担・手続き”を極限まで削減 

国内の保険会社で転用する場合は、自動車・火災・傷害など、既存の商品でも“事故や遅延の発生をトリガーに自動支払いする”パラメトリック要素を組み込みつつ、AIでコミュニケーションやパーソナライズの高度化を図ることが考えられます。 

出典: Grab公式Webサイト 

ケーススタディ② Companjon:遅延情報の確認だけで支払いが完結するパラメトリック保険 

欧州の新興保険会社Companjonは、飛行機の遅延に応じたリアルタイム支払いであるパラメトリック保険を実現しています。 
利用者は請求行為も、証明書提出も必要ありません。 
まさに「意識せずとも補償を受けられるゼロタッチ体験」の象徴的事例です。 

CompanjonのCXを成立させるバックエンド構造 

Companjonの「ゼロタッチ・パラメトリック保険」は、以下のような高度な基盤設計によって実現されていると推察されます。 

  1. 遅延情報を自動で読み取り、システムに連携する仕組み(API連携) 
    航空会社の遅延・キャンセル情報をリアルタイムで取り込み、「遅延が起きた」ことをシステムが自動で把握 
  2. 遅延の内容から“補償対象かどうか”を自動で判断する仕組み 
    取得した遅延時間や路線の条件に基づき、補償の対象か、保険金の支払額はいくらかを即座に計算 
  3. 支払いをすぐに実行し、ユーザーに通知まで行う仕組み(自動支払ワークフロー) 
    遅延を確認してから、支払処理 → ユーザー通知 までをシステムが自動で進行 
    補償完了は数秒以内で、ユーザーが申請したり、誰かが手作業で承認したりする必要はない 
  4. マルチテナント型アーキテクチャ 
    複数通貨・複数言語・複数国の規制に対応することで1つの技術基盤で様々な地域へ展開が可能 
  5. セキュアなデータ管理 
    GDPR(EUの個人データ保護法。世界で最も厳しい水準のデータ管理が求められる)準拠の個人データ管理“自動化×規制準拠”を両立した仕組み 

AIを活用した改善余地 

Companjonはすでに優れたCXを提供していますが、AIと組み合わせることで新たなCXが創出されます。 

  1. 対話型UI(チャット形式でユーザーとやり取りするインターフェース)で補償内容を自然に理解できる 
    補償範囲や適用条件を自然言語で説明“自分事化しやすい”コミュニケーションが可能 
  2. 多言語での最適なコミュニケーション生成 
    翻訳に留まらず、文化圏・感情に合わせた“ローカライズ”表現を自動生成 
    国ごとのユーザー心理に即した体験提供が可能になる 
  3. 過去の利用履歴や会話内容を踏まえて最適な返答を生成する文脈理解型の応答 
    問い合わせ履歴・行動データを踏まえた“今必要な情報”の提示 
    個別最適化されたケア体験が実現 
  4. フィードバック解析と次アクション生成 
    アンケート内容をAIが自動分類・分析 
    次回利用を促す自然なプロンプト(提案)を生成 

国内の保険会社で転用する場合は、パートナー企業や決済サービスとの連携により、補償対象の出来事が起きた瞬間に自動で補償が実行される仕組みを提供することが考えられます。 

出典: Companjon 公式Webサイト

 

事例から読み取れる示唆 

GrabとCompanjonという2つの事例は、「保険を“手続き”から“体験”へ変えるための共通構造」を示しています。 
そこから得られる示唆は次の4点です。 

優れた保険体験(CX)は、 
“手続きをなくす仕組み” × “顧客を理解するAI” × “課題から設計する発想” 
の掛け合わせで生まれます。 

そして本質は、 
一度だけのCX改善ではなく、「顧客体験が継続的に進化する仕組み」を保険会社自身がつくることにあります。 

日本の保険会社が着手すべき最初の3ステップ 

GrabやCompanjonの事例が示すように、AI時代の保険は「手続きを前提にした仕組み」を脱し、 “守られていることを意識しなくていい世界” へ向けて再設計が進んでいきます。 

国内の保険会社がこの方向へ舵を切る際、最初に取り組むべき実務的ステップを整理しました。 

STEP1:顧客体験の“課題”を起点に、ゼロタッチ化できるポイントを可視化する 

顧客課題から出発することで、AIが介在すべきポイントを明確にすることができます。 

STEP2:バリューチェーン全体でAIユースケースを棚卸し、優先順位をつける 

営業・マーケ・引受・査定・保険金支払い・バックオフィスなどにおいて、 

を体系的に整理し、ビジネスインパクト × 実現性の軸で優先順位を定めます。 

STEP3:重点テーマについて、ロードマップ(PoC〜本番化)を策定する 

AI活用は単発導入では価値が出ません。優先テーマを絞り込み、PoC → 仕様確定 → 実装 → 運用改善までのロードマップを描くことが重要です。 

特に保険会社の場合、 

を踏まえた継続的に改善する仕組みの設計が成功の鍵になります。 

まとめ 

AIは、これまでの「手続きをデジタル化する保険」から、 “体験そのものを継続的に進化させる保険”へと、保険のあり方を大きく転換させつつあります。 

ユーザーが書類を提出し、状況を説明し、審査を待つ── 
そんな“手続き中心”の前提から抜け出し、 “何もしなくても自然に守られている”という体験中心の設計へ移行すること。 これこそが、AI時代に保険会社が最も重視すべき視点です。 

その変革に必要なのは、個別業務の自動化ではありません。 
顧客の価値体験を起点に、保険の仕組みそのものを作り直す視点です。 

そして、この“体験中心の保険”へのシフトを現実に落とし込むための第一歩が、先に示した3つのステップになります。 

AIは魔法ではありません。 
ただし、”体験中心の保険”を実現するうえで、これほど心強い味方は他にありません。 
保険会社自らがこの視点を持ち、ビジネスモデル・業務・システムを含めた仕組みを再設計し続けられるかどうかが、これからの競争力を分けていきます。 

リードインクスはソフトバンク株式会社の100%子会社として、保険会社・保険代理店向けにデジタル保険プラットフォームとDXコンサルティングサービスを提供しています。 
単にシステムを提供するのではなく、事業戦略・CX・業務・データ・システムを一体で設計し、実装からリリース後の改善まで伴走できることを強みとしています。 

本稿で述べたような CXを起点とした“体験中心の保険” へと仕組みそのものを作り直す変革として捉えることが、中長期的に最も大きなリターンをもたらすと私たちは考えています。 

リードインクスとしても、CXを単なる概念や理想論で終わらせるのではなく、顧客体験の設計から、それを支える業務・サービス・システムの実装までを一体で捉え、保険会社の皆さまと伴走していきたいと考えています。 

脚注 

AEO:Answer Engine Optimization / 回答エンジン最適化
AIアシスタントや対話型検索において、ユーザーの質問に対する「回答」として正確かつ適切に参照・要約・提示されることを目的とした情報設計・最適化の考え方。従来の検索エンジン流入を前提としたSEOとは異なり、AIが情報を理解・解釈し、意思決定を支援する文脈で活用されることを重視する点が特徴であり、AI時代の顧客体験(CX)設計における重要な前提となる。 
CX: Customer Experience / カスタマーエクスペリエンス
顧客が保険会社とのあらゆる接点(認知・理解・検討・契約・利用・補償・更新など)を通じて得る顧客体験全体を指す概念。商品・サービスの内容に加え、業務プロセスやコミュニケーション、サポート体制など複数の要素が複合的に影響し、顧客の信頼形成や中長期的な満足度、継続率に直結する。
UX:  User Experience / ユーザーエクスペリエンス
商品やサービスそのものにおいて、顧客が実際に利用・接触する中で得る顧客体験を指す概念。アプリや Web サイト、申込・請求といった個別の接点に加え、操作性、分かりやすさ、手続きのスムーズさなどを通じて形成される、商品・サービス単位での体験に焦点を当てる。 
UXはCX(顧客体験)を構成する重要な要素の一つである。 
LLM:Large Language Models / 大規模言語モデル
 膨大なテキストデータと高度なディープラーニング技術を用いて構築された、自然言語処理(NLP:Natural Language Processing)と呼ばれる分野における革新的な技術 
GDPR: General Data Protection Regulation / EU一般データ保護規則 
欧州経済領域(EEA)における個人情報の取り扱いについて法的要件を定めた規則 
個人情報とプライバシー保護の強化を目的としている 
API:Application Programming Interface(アプリケーション・プログラミング・インターフェース) 
異なるシステムやサービス同士が、データや機能を安全かつ効率的にやり取りするための“接続の仕組み”。アプリやWebサービスが互いに連携し、情報取得・処理・実行などを行う際の“共通ルール”として機能する。 
RAG:Retrieval-Augmented Generation / 検索拡張生成
 生成AIが回答を生成する際に、事前に用意された社内文書やデータベースなどの情報を検索・参照したうえで、その内容を踏まえて回答を生成する仕組み。学習済みモデル単体での推論に比べ、情報の正確性や最新性を担保しやすく、約款・FAQ・業務ルールなど、正確性が求められる領域でのAI活用に適している。 
ゼロタッチ体験
顧客が申請・問い合わせ・確認といった行為を意識的に行わなくても、状況の変化や条件成立をトリガーに、補償判断や支払いが自動で進行する体験設計。
パラメトリック保険
事故や損害の実損調査ではなく、「遅延○分以上」、「降雨量○mm超」など、あらかじめ定義された客観的条件(パラメータ)の成立をもって、保険金支払いが自動実行される保険モデル。迅速な支払いとゼロタッチ体験を実現しやすい点が特徴。

執筆者

DXコンサルティング事業責任者
田口 智章
経歴
大手損害保険会社、コンサルティングファームを経て現職。
保険業界の事業戦略策定、デジタルマーケティング支援、BPRなど幅広い支援実績を有する。